船酔い

 


わたしはどれだけわたしの中の世界だけでない世界、つまり偏見を持たずして、物事を判断したり、考えたり、見渡せたりできるのだろうか。

最近毎日多くの人と接していて、コミュニケーションを取って、波乗りをしているような感覚になる。心があっちいったり、こっちいったり、沈んだり浮いたり。波を軽やかに受け流すことが苦手なわたしは全力で波を受けてしまうから、そろそろ船酔いしてしまいそう。

わたしが抱く感情はいつだって大切にしたいし、誰よりも自分で信じている。でもそれだけが真実でないこともわかってはいる。そして余裕がなくなるとあらゆる幅がいつも狭まる感覚もよくわかる。

つい最近、目の前で衝撃的な出来事が起きた。
それに対してわたしは目に見えたほんの少しの情報だけで、瞬時にこの人は悪い人かもしれないと頭の中で解釈しようとした。それで脳処理すれば簡単に解決するし、わたし自身の負担を減らそうとしているような感じだと思う。

自分が判断したことが真実じゃないといいな、と思いつつ、でもどこか変だったな、と自分と違うからそれが変だと思い込んだ。
自分と違う、みんなと違うって、それだけで判断してしまったその一瞬に、自分がとても幼く感じた。
どちらかというと、小さい頃からそういう偏見を持たれやすい環境下で、そういう目を向けられてきた人が身近にいて、それを守るように生きてきたはずだったのに、どうしてわたしはそこまでの想像ができなかったのだろうか、と酷く落ち込んだ。
人と違うことへの視線や誤解を何度も向けられてきたからこそ、相手の痛みや、家族の痛みが直接こころに突き刺さる。
お互いに悪気は一つもないことは確かなのに、胸がすごく痛んだ。本当に自分の想像力や、視野の狭さに落胆してしまう。

いろんな人がいるね、とそれだけで成り立つ社会じゃないし、どんな人でもやっていいこと、悪いことは確かにある。だけどその中でも一所懸命に迷惑をかけないように、肩を小さく丸めて、複雑な問題を抱えて生きてきていることを、そういう世界があること知っているのに、一瞬の自分の判断でその世界や、その心を蹴飛ばすことをしたくない。

それと同時にやはり自分のことも守っていかなければならない。難しく考えすぎず、かつ繊細に、思いやりをもつには、どうしていけばいいのだろうか。軽やかに波乗りをしたい。
きっと方法はたくさんあるはずだし、こころの動きを丁寧にひとつひとつ大切にできたなら、そういう自分がしたくないことを少なくするこはできるはずだとは思う。

小さい頃からなんとなく思うのは、
強すぎる感情は人を鈍感に、鈍くさせていくような気がする。強い思いは、自分や人のこころの波紋を大きく揺らす力がある。
だからこそ大事に見ていかなければならない。
押さえ込むのではなく、大事に見る。観察や思考を止めてはいけないと思う。

偏りについても考えた。
どこから人は偏っていくのだろうか。偏りはどこからが偏りなのだろうか。渦の中でぐるぐるとしている、やっぱり船酔い中。

いろんな朝

最近居候している街で、毎朝6時半に野菜を配達する仕事をもらえた。

2月の朝はとても深く寒い。濃い青の空から、何色かわからない光が少しずつのぞいてくる。そして街がどんどん染まっていく。毎朝色が違うような気がする。そのあとにカーテンの隅から漏れ出ている、白くて明るいみんなの知ってる眩い朝陽になる感覚。どう考えても白い朝陽の前に違う色の違う時間が存在すると思う。色の変化の瞬間は一瞬のはずだけれど、運転しながらゆっくりと進むその時間を眺められるこの仕事はかなり好き。

車内で好きなCDをかける。1番、2番、飛んで10番11番目の曲が朝には合う。たまにCDを変えたくなるから、夜のうちに明日の朝のCDを選ぶあの時間も好き。

今日は一緒に住んでいる仲間たちがモーニングに行こうと誘ってくれた。朝起きて一番最初に目にした文章がモーニングのお誘いってこんなに嬉しいのか…こころが明らかにルンって言ってた。

珈琲とBセット。そこのお店はクロワッサンとサラダとベーコンエッグ。先客たちは思い思いの会話をしている。朝から一体みんな何を話しているんだ?と思っていたけど、私もいつの間にその一部になっていた。その渦の中にいると渦の外の世界のことが見えなくて、この三人との会話しか考えなくていいから心地がいい。たまには外側じゃなくてその中に入ってみるのもいいね。

少し前に家の近くの池を散歩していたら、猫とおじさん四人が公園のベンチに集まって凄く大事そうな話をしていた。私もそれを見てその中に入りたくなった。だからわたしも真似っこして散歩についきてくれる優しい人を誘って、ベンチに座って、大したことない話を大したことあるように話してみた。結構それがたのしくて、またやりたいなと思った。

きっとこうやって人それぞれのいろんな朝がある。そのいろんな朝の中に入って楽しんでいたい。いつも夜のことばかり考えていたけど、こんなに朝のことを考える日が続くのは初めて。もしかしたら他にもたのしい朝があるのかもしれないね。

ちなみに朝を過ごした後に二度寝をしたら、その朝が夢だったんじゃないか、と思う夕方がくる。それも不思議でおもしろい。

ここにいる間は、わたしのいろんな朝を見つける。

二月の

争いが暮れた世界で

燕になって あなたの元へ

高く高く飛べないが

羽を広げ風に乗る

庭木の枝が枯れる頃

幼き日々の街をゆく

痩せたその背中は

枝の先の空へ向かう

二月の燕よ、枯れた声の優しさよ

二月の僕らよ、遠くへと飛び立てよ

かすかに光るその目には

赤子に触れるその風は

過去を辿り 今に凪いて

空の先に漂っている


祖母の部屋に入ると、いつもの椅子に座ってひとり楽しそうに誰かと話している。現実のことなんて一つも話さなくなった祖母をイカれてしまった、という家族。でもわたしは前よりも祖母の心が近いところにある気がした。手で口を押さえて、泣くほど笑いながら誰かと話している。誰と話しているの?って聞いても、人なのかもわからなかった。会うたびに一言目が久しぶりになってしまってごめんね、と私が言うと、いつも燕になって屋根の上まで会い来よるやんね、とケラケラ笑う。話を聞くと、色んな人が色んなものに化けて祖母に会いにきていたみたい。

わたしはまたあなたに会いに行きたいと思って、この曲ができた。

なんにもない休日

 

晴れて青空になることも、雨音を聞くこともない木曜日の曇りの日。久しぶりになんの予定もない午後がやってきた。友達のことを考える。優しいきもちになった。あっという間に日が暮れそうになったから、次はなにをしようかと考えた。

ギターを弾きたくなったから、公園に向かう。家から一番近いこの公園はとてもいきいきとしている。子どもはボールを追いかけ、老人は並んで陽に向かい、犬は草と戯れ、ベンチで何もしないでいる人。

私はギターを弾いている。いきいきの仲間入り。

暫く弾いたら、眼鏡をかけたおばあちゃんと、何故かバトンミントンのラケットを持ったおじいちゃんが隣に座り微笑む。わたしも微笑む。気づいたら二人はどこかへ行って、空いた席に次は角刈りのお兄さんが座る。それは、ガットギターですか、懐かしいなあ。と言い、わたしが歌うわたしの曲を、もちろんお兄さんは聴いたことがないはずの曲を一緒に歌う。次にどこにいくかわからない音程についてくる。少しうっとおしい、けど、何曲も聴いてくれて、曲が終わったら必ず、とてもいいですと、拍手をしてくれる。そんなことをしていたら、次はおばさんたちがレジャーシートを隣にひいて、お弁当開いて、ここは生演奏や〜、と集まってきた。

ギターのねえちゃん、とだけ呼ばれて、あとは何も聞かれなかった。とにかく、ご飯を食べなと豆ご飯に、にんじんしりしり、ウインナーを皿に乗せてわけてくれた。マッコリもくれた。後から来た、フランス帰りのお姉さんは、フランスパンとチーズとワインを持ってきた。みんなにフランスで結婚する予定だったけど、出戻りよ、と茶化されていた。みんな話に夢中で、曲なんか聴いちゃいない。でも弾くのをやめると、途端に弾いてよ、と言われる。聴いてるんだ。

帰り道、いっぱいになったお腹をさすりながら、あの人たち一体、誰なんだろうと一服。

ま、でもいいか。

なんにもない休日っぽいからいいや。

 

 

あなたの詩

朝起きて涙がでてきた。細々とした朝だ。

跳ね除けても、避けても、どこからでもやってくる水のようにしなやかに、鉛のように重いその感覚は、私にしか見えなくて、誰かに伝えようものなら言葉を通じて別物へと変わっていく。

本当にそこに、すぐそこに在る、身体の中に。

それが上なのか、下なのか、真ん中なのか、奥なのか。ラキタのうたを思い出す。ラキタのうたを聴きながらやっぱりわたしはあたたかい方へいきたいと何度も思う。染み込むようにあっという間に浸透して、占領して、生活のことを考えていく時間。

図書館へ向かう、もっとあなたの詩を読まなければならない。

年末

2023の年末は、京都だった。

なんの計画もなく、車を走らせ、車中泊して辿り着いた。ドタバタと家を出たので、忘れ物がなんなのかもわからない。

こんなもんでしょう、とわたしがわたしを納得させるときは必ず少し足りない。後少しなのだ。大丈夫でしょ、って思うときも大体は危ない。危ないことをそのときはわからない。そしていつも心がおかしくなってから気がつく。

京都に来てから、高熱で倒れたり、強い言葉で大切なものをぐちゃぐちゃにされたり、そういうあんまり思い出したくないようなことが起きた。あと少しわたしがわたしをちゃんと守れていれば、と反省。

春まで楽しめるといいな。楽しくなくても、春をちゃんと感じられる心でいれるといいな。