年末

年末は特に理由はないけど東京にいることが多い。一昨年は、折坂悠太と青葉市子で、去年は工藤祐次郎、柳瀬

次郎、秋山璃月、中山うりのライブ。

にしてもやることがなさすぎる、この街は。

ライブ以外に用がない中心街をどう楽しむのかを試されていた。キラキラ輝くようなお店や、古着屋、本屋、なんとなく入るけど、欲しいものなんて何もない。

とりあえず、中央線の川沿いを歩けるだけ歩いて、音楽を聴いて小蝿の集団を避けながら、まあこういう日もいいんじゃないかと思うようにしている自分。

どこかお店に入る気力もなくなり、コンビニでおにぎりを買った。もちろん座る場所なんてないし、どこにでも人がいるし、仕方なく人の流れを断つように逃げ込んで建物の壁と壁の隙間でこっそり食べていた。そんな自分は今までで一番何してるかわからない人だった。

水を飲むかのようにおにぎりやらサンドウィッチを食べなければいけないほど時間に追われている訳ではないのに、なぜか追われてしまってる。謎の現象だ。

暇すぎて、映画を観ることした。

ちょうど観たい映画が公開されていた。

観た後、あぁ東京で観てよかったかもと思った。ケイコの孤独はうるさすぎる東京にいるとより浮き膨りで、埋もれていきそうで、でもその中で強く負けないように生きていそうで。

それと、三浦友和のような人は、こういう孤独な人、この世に必要不可欠。柔らかく深く見つめられたら涙が出てくる。別に家族が絶対じゃない、血のつながりが絶対

じゃない、人生でこういう人と一人出会えればいいんじゃないか、と思う。

緋美が出てきてその時だけ流れる音楽が堪らなくよかった。

今年の年末はどこにいるだろうか。

居心地悪し

居心地が悪いなこの空間...と思う時はだいたい、その場の空気に飲まれてしまい、自分の発する言葉なんて二の次で全く自身のことなんぞ大事にしていないとき。どこにいてもそうだ。わたしは人とむきだしのまま、そのままでいたいことを、その方へ向かっていくことを弱さとか色んな要因で誤魔化そうとして、むきだしになんてできなくなる。

ただそこにその感情があることだけが真実な時もあり理由がない時もたくさんあることを見抜けないし、本質だってわからない。本質なんてあんのかな。みんな何が見えてるのかな。何を考えているのかな。私は何を見ようとしてるのかな。

こうやって何回も何回もループして、ようやくまたシンプルな方へ辿り着く。何回だって考える。考えた上で理由がないことに気がつく。繰り返しだ。まじでめんどくさいけど、諦めないし、死ぬまでやめない。ああやっぱりやめたいな、けどやめない。

カラックスの映画

1ヶ月前に観たカラックスの映画が未だに忘れられず、思い出してはああ...よかったよなあ、また観ようと思ってしまう。手元に欲しいdvd。言葉にできない美しさ、愛を映像で写し出して、超えてくる。細々しく生への明るさを感じられない主人公の濃く危ういエネルギーをヒシヒシ感じた。花火の中踊るシーンは忘れられない。てか忘れられないシーンが多すぎる。良い映画に夢中になると1日があっという間に終わる。ずっと余韻の中で、気持ちがいい。

今日サマーフィルムにのってを鑑賞。真冬に真夏の映画を観る贅沢を覚えてしまった。これもまたよくて、あんな青春映画を求めていた。ちょうどいいゆるさと、熱さと、テンポと音楽、ラストシーン、素晴らしかった。あんな仲間人生でいたら楽しいんだろうな。佐々木インマイマインとPLAN75にも出てた河合優実が映るたび心が躍った。可愛いすぎてドキドキする。

三日間の幸福

三秋縋さんの本がとても好き。特にこの三日間の幸福は長期で家を離れる時は必ず持ち運ぶ。

何がどういいのかはもう感覚でしかないから変に言葉になんてできないけど、その世界の中での醜いこと、哀しいこと、美しいことを表す言葉選びが私の心の近いところにあるから、共感とは違うけど心の奥底にしっかりと届いて空気や感覚が長く残る感じ。

当時高校の図書館でこれに出会った日はかなり衝撃を受けたし、当時抱えていた孤独も、不安も包み込まれた気がした。電車の中で夢中になって読んだ。

そんな大切な本でもいつでも読みたいわけではなくて、突然、今、今だ!今読みたい!ってやってくる。ちょうど2日前にそれがやってきた。好きな本を読みたくなる瞬間て本当に嬉しい。ありがとうございます!存分に今から楽しみます!と大きな声で言いたくなる。

それは大体、秋冬に訪れる。夏の話なのに不思議だ。

生きていく柱のひとつ

納税する度に、年金を支払う度に、わたしは今期も今月も生きようとしているんだと認識する。わたしはわたしが思っているより堅実で、生きるのが面倒臭いくせに任意の生命保険とか入っている。この矛盾がたまに可笑しくて鼻で笑ってしまう。本当にいざとなった時頼れる人がいないので、ちゃんとしとかないといけないっていう圧倒的な圧のせいで貯金もないと不安で仕方ない。手がつけられない。不安だ。支払うとお金が減って不安になるのに、皮肉なことに今月もちゃんと支払ったんだから、その分生きないともったいないから生きるか〜と、生きる肯定にもなる。生きていくための柱のひとつが毎月の請求書だなんて、、ちくしょーーーーー!という気持ちで選挙に行った。

22

22になった。ずっといろんな場所に日記を書き散らかして、また散らかす場所を増やした。

いま、長野の家の中もわたしの心の中も散らかって、散らかして、片付けて、また散らかす。

ずっと繰り返す。そして、いつかばらばらになる。