無謀のその先

「死にたいと言われたらなんて答えますか?」

とある会話の中で質問されて、心臓がグッと持ちあがり、喉の奥が詰まるような思いをした。死にたいか、死にたいんだな。じゃあ死んでしまえば?なんていう極論は、時としてうまく作用するけど、複雑な現実に立ち向かえるはずがないことを私はよく分かるから言えない。だから、どうして死にたいと思うのか、その根っこをさ、見つからなくてもいいから散歩しながら一緒に探さないか?としか今の私は言えません。と答えた。今の素をそのままを伝える。

でもこう、なにか違ったみたいで。

正解なんてこの世にひとつもないわけなのに、なぜか違うはある、存在する。人それぞれ心の中にしっかりとある。私もある。タイミングも言葉選びも違うときが必ずある。だから傷つけてしまうのが怖い。そんな綱渡りを理解した上で人と人が繋がり合おうとするなんて、ほんと嫌になる程無謀だ。無謀なんだけどその先できっと孤独と手をつなげるようになっていくのかもしれない。大

丈夫になっていくんだと思う。こういうことを伝えるにはどうすればいいのだろうか、とその会話のあと朝まで考えた。頭が痛くなるほど。言葉はいつだって慎重にするべきだけど、呼吸と同じくらいそのことを忘れる。

今世、答えなし!

でもね諦めたりしないよ

色色衣

今日はスピッツの色色衣のアルバムを聴きながら、ずっとずっと田んぼ道を車で走る。途中夕陽が沈む瞬間を横目に見ながら、まだ走る。稲穗、魚を繰り返す。田んぼ、夕焼け、稲穂、魚。こんな景色あるようでないなあ。どの街にもそれぞれの日常の景色があって、どれもこれもきれいで、そんな街を嫌いになんて絶対になれないのはもうわかりきっている。言葉と心のズレは本当にしょうもない。ちっぽけすぎる言葉も心もどうにかならないのだろうか。

選択への責任

今日、仕事の休憩中に電話がかかってきた。

一瞬、やめとこうかなとも思ったけど、強気な気持ちをしっかり握りしめて電話を出た。よしゃ、喧嘩だ喧嘩。負けてはならない!誰かにとか自分にとかじゃない、ただその空気に負けなければそれでいい。

相手も色々と聞くし言ってくるが、私はもう大丈夫だと伝えた。とにかく大丈夫だから、こっちはこっちで今楽しんでやっとくし、過去の面白い分析とかなら聞くけど

つまらない後悔話は聞きたくない。とりあえずあんたはあんたの今の人生楽しんで、自分が選択したことへの責任だけを背負ってください、私も私の選択への責任をしっかりと見つめます、と。

ふぅ〜すっきり。さて、散歩するか。

 

誤魔化したい

ほんとは色んなことを誤魔化したい。

気持ち、からだ、こころ、素直なもの全てを誤魔化したい。むきだしのまま、素直なままでいると大体がみっともないことになるし、そんなみっともない自分をみるのなんて...いやいや勘弁して。

だから、うまいこと誤魔化してしまえばみっともないことが化けて綺麗になったりするのかもしれない。けど、いつの日か気づいたら空っぽになっていそうでそれは怖い。残るものは何もない気がする。みっともないし、とても苦しいけど、本気でそういうところを見せ合えるような人たちと美しいものをみていたいし、感じていたい。よね。

社会

社会や世間って、みんなの中に一つの巨大なものとして存在していて、たまに押し潰されそうになったりするんだけど、その社会の正体が一体なんなのかなって、考えてみてもよくわからない。細解こうとしたって、実は人それぞれの概念で成り立っていて、正体はめちゃくちゃ曖昧なものだったりする。そんな曖昧なものが、すぐそばに隣にいつだって居座る。もしかしたら隣になんていないよって人もいるかもしれないけど、今の所の私は、隣に座らせてしまっているのかもしれない。その存在が大きくなったり、忘れてしまうほど小さくなったりもするけど、とにかくいる。

どうせ隣にずっといるならば、押し潰したりしてこないで、面白い話をしたいな、と思う。

距離感

人との距離感を考えずにいると、いつの間にか人疲れが起こる。そして大体はそうなる前に、ああ、遠過ぎたな、近過ぎたな、とコントロールするようになる。そうやって自分と他人との境を大切にする。

でもたまに、コントロールできない時や、したくない日もある。それでうまくいく日も、いかない日もある。

頭で考えたことなんて、その瞬間の気持ちに全て吹き飛ばされるほどちっぽけでしょうもないものだったな、と思い知らされるし、孤独なものだな、と惹かれることもある。

とりあえず色々ある。

色々なものでできていて複雑だから面白いし死ぬほどめんどくさい。簡潔な人になりたい時期もあった。その方が楽だし、自分への感情の責任なんてものも必要なくなるし。もしそういう域までいったら、なにもかも諦めてしまいそうになる気がする。考えることも、生きていることも。それが良いとか悪いじゃない、ただ色んな感情をいだけるうちは、そのままでいたい。そのうちどんな人でもどこかへ行くから。

 

 

何してる人?

短期バイトで長野を離れている今、バイト先の人に聞かれることがある。

君は大学生?何をしてる人?と耳にタコができるほど聞かれる。(バイト先は何百人もの人が働いていて、毎日知らない人と出くわすので)そして私はいつもう〜ん、なんだ?と返す言葉もなく時間オーバー。

長野を離れる直前に古くからの友人ともその話をしたことを思い出した。

doの肩書きとbeの肩書きの話。(そういう本がある)

私が聞かれるのは大半が前者のdoの肩書きのことなんだろう。なにをしている、のか。大学生をしている、のか、OOの会社で働いている、のか。

でも私はやっぱりbeの話がしたい。何をしてる人なんて外側はどうでもよくて、内側の何を感じて、どういう人なのかという話がしたい。

でも知らない人との世間話程度ではそこまでいくことは難しいね。エレベーターの中のたった10秒で私のbeを語れるほど、まだまだ考えきれていないし。私はこういう人だ!って一言にまとめられるほど自分をまとめきれていないし。

というか、毎日変化し続けているのにまとめる必要があるのだろうか。その変化に対応しきれないこの不安定な若者に何してる人?なんて聴かないでおくれ!